タイトルの言葉は、私が大好きな人、茶事懐石料理人の半澤鶴子さんのお言葉です。
茶道のお稽古などとは無縁に生きてきた私。
けれど美術館や庭園、都をどり(なんということでしょう、今年は予約が遅くてお抹茶付きのお席を取れませんでした)を訪れた際には必ずいただいています。京都の茶寮都路里の抹茶パフェなんか一人でも食べに行きますし、うめぞの CAFE & GALLERYの抹茶のホットケーキなんかも大好物です。
そして樹木希林さんの「日々是好日」の映画、森下紀子さんの原作が好きになり。。
知識はないけれど、本当にお抹茶をいただいているその時間の全てが大好き。
さて、話を鶴子さんに戻します。
ということで自宅で盆点前の真似事にハマった時期がありまして、その際YouTubeでお茶に関する知識を詰め込もうと検索をしていたら、鶴子さんと出会いました(一方的に)。
NHKで放送された1時間近い番組なのですが、鶴子さんの心も空気も世界観ももう本当に素敵で、素敵で。
あぁ、、なんで私にはこのひたむきな丁寧さと謙虚さと豊かな心が足りないのだろう、、、言葉も所作も美しくて、、、と、毎回一瞬自分に失望して意識が飛びそうになるのですが、、。
この番組は、自分自身のそんなことよりも、やっぱり鶴子さんの生き方に吸い込まれるかのような不思議な世界が素敵です。
どんな環境に生まれようとも、たとえ幼少期に「普通」を経験できずとも、自分自身の志さえ気高く保つことができれば、どんな人間にでもなれるということを教えてくださっています。
そして、人それぞれどんな世界で生きていようとも人と人は繋がれるということも。
心を洗いたいときに何度も観ている映像。
そして、タイトルの言葉を引用させていただきました書籍もオススメ。
この本を読んで初めて知ったのですが、一度、目の病気に見舞われたのだそう。失明寸前までの経験もされたとのことで。。
私も目が病気で、今も両目が歪んで見えたり部分的に見えない箇所もあるので、失明の恐怖という強烈な絶望を免れられたという気持ちが完全に理解できます。
しっかりと見えているうちに、やりたいことをし尽くそうという気持ち。
この世にはたくさんの美しい色があって、どんなに些細なことにも幸せを感じられる心を得られたこと。
見えるということだけで、自分一人でなんだってできるのだということ。
鶴子さんのエネルギーは尽きることがないのだろうなぁ、そう感じました。
そして!鶴子さんの茶事を見ていたら、堅苦しいイメージの茶道が暮らしに浸透している身近な存在に思えて。これが本来のお茶の世界なのだろうなぁ、楽しそうだなぁと。
こんな老い方、憧れるなぁ。
さぁて、今日も自分の心のあるがままに従って、楽しみましょ。
ではまた〜!