40代、新しい恋をする前に。

ジューンブライドの6月。

しとしとと降る雨が風情があって、、と書きたいところだけどドボドボと降り続く梅雨の雨。本州の線状降水帯は大丈夫かしら、そんなことを思いながら。

雨の日の今日は、恋愛音痴だった私が「今この時代に自分が結婚をしていなかった場合、まずはどうやって恋をするのか」ということを考えてみようと思う。バリキャリの友だち(未婚)に「有紀だったらどうするんよ」と訊かれたのだ。

さて、どうしたものか。もう41歳だ。う〜ん道のりは険しい。

既婚の私は、夫の他にもう新しく恋をしなくてもいいので、白髪染めだってやらないと決めた。まだ41歳だけど剛毛の私は前髪が白髪メッシュになっていて、癖強めの個性派になってしまっている。

これから私が恋愛や婚活をしなければならない、いやいや義務じゃないわね、したいと思った場合、、きっと、まずやることは白髪染めと筋トレ、そしてエステ通いに違いない。

身なりを整えてきれいになって、健康的で見た目もやや若くしたい。年相応にコンサバなスカートなんかを着るのも悪くない。食生活もきっちりと整えて、お肌をピカピカにすると思う。その方が結婚相談所なり実際に誰かとお会いするとなったとき、ヒットしてもらえる可能性が高くなるはずだから。お相手を見つけるには分母は多い方がいい。そんなに簡単に独身男性が見つかるとは思わないから、貴重なチャンスは逃したくない。

なんて書いているだけで、なんだか気持ちが上がってきた。最近は勉強とフルートばかりだった私は、基本1年365日のうち300日くらいはヨガウェアで生きている。綺麗に仕上がった自分を想像しただけで、幸せホルモンが分泌。週末はちょっとキレイになってみようと思う、うん。

結婚をして10年近く経つ私だけど、夫と出会う前までは自他共に認める見事な恋愛音痴オンナだった。子どもの頃から誰かに好きになられても「私の何を知ってるのよ、想像で勝手に好きにならないでよ」と解釈をして逃げ回るという独特の感性を持っていた。

私は、どこから仕入れたのかわからない「何か」がカラダに染み込んでいた。その「何か」の基本をきっちり守るタイプで、付き合って3ヶ月でフラれるかフルかの2択を実行していた。この3ヶ月制度の怨霊(おんりょう)は、一体どこでもらってきたのか全く思い出せない。今度このブログメンバーのにしおさんと共に過去の記憶をさかのぼって掘り返してみたいと思う。

40代の私たちの世界観というのは今とは違って、「30歳までには何がなんでも結婚をしたい」と思っている人が多かった。三十路ボンバイエ(by ケツメイシ)だ。近い将来の自分をしっかりと想像していた高校生だと将来を見据えてちゃんと恋愛をし、20代前半だとか半ばで結婚する子も多かった。その当時は、スマホもなかったから生き方に多様性がなくて、こう生きてこれを手に入れられれば幸せになるよ、といったわかりやすいモデルを目指しやすかった時代。若者(恋愛上手限定)は、そのレールに乗って前に進みやすかった。

確かに、寿命が延びようが結婚が晩婚化しようが、出産適齢期の年齢までは上がらないし、子どもがほしいと思っているのなら若いうちがいい。自分と子どもの命がかかっているから。

でも恋愛音痴の私は、いつもうまくいかなくてどうしようもないから仕事を頑張った。仕事を理由に、彼がいない&うまくいかないを正当化できていたし、やや都会にいればフリーの友だちもたくさんいるから楽しかった。

(仕事のしすぎで男性ホルモンが優位になって攻撃的になり、恋愛がうまくいかなかったと知ったのは夫と出会う直前だった。この本はとても良かった。不調を感じてる大人の女性全員に是非とも読んでもらいたい。)

パートナーとうまくいかない理由は無限にあって、全ての人に当てはまる成功例もないと思ってる。けれど、やっぱり疲れ果てて「本当の自分」がいなくなっているときに出会った人とは、むずかしいのだろうな、とも思う。まずは疲れた状態から脱して、毒素を排出して、何かを受け入れられる「余白」を手に入れないとどうにもならない。

気持ちだけが焦るのは是非とも避けたい。いい結果は生まれない。結婚をしたいという気持ちがあって、さらに今、妥協すれば結婚できる相手がいるという状況があったとしても、そんな結婚をしたいと思っている人はあまりいないと思う。何かが引っかかって心がモヤモヤする時は、だいたい正解。じゃあどうしたらいいのか。

お別れをしたあと、その次の段階からがすごく難しい。

そもそもどんな人だったら自分と合うのか、何故に恋をしたいとか結婚をしたいと思うのか、本当に求めているのはどんな相手なのかがわかっていないと先には進めない。

本当に欲しいものが自分でわかっていなかったら、一生手に入らない。

心に余裕があるときはそんなことを考えなくても、合う相手が直観でわかるんだと思う。私がこの段階にいるとしたら、まずは徹底的に疲れと傷を癒すことからはじめる。心に余裕がないと、そもそもうかくいくはずがないからだ。自分に余裕があってはじめて、人にやさしくできる。やさしくされた人も心が温かくなるから、それを返そうと思うようになる。そして好循環が生まれる。

そして、楽しいことを存分に満喫して「一生結婚はしない」と誓う。

この流れで急に何を言い出すんだと思うかもしれないけど、私は夫と出会う前に決意をしていた。「一生結婚はしない」と。このことはもう、心の奥底から本気で決意をした。当時は揺るぎない信念で、嘘偽りなくこの決意を全うしようと思っていた(その後すぐに夫と出会い、1年半後に結婚。爆)

まずは全身の細胞に「もう結婚はしないと決めたから頑張らなくていいよ」と言い聞かせる作業をする。(注意|この沼暮らしのブロガーはクセ強めなので変なことを度々言うけれど、そんなに深く考えなくて大丈夫。)

あまりにも疲れたから自分一人で生きた方が楽だとわかったし、そう決意した瞬間、全身一つ残らずの細胞から恋愛疲れの毒素が抜け切ったのだ。その凄まじい爽快感の感覚は今でもリアルに覚えている。「結婚しなきゃ」の呪縛は本当にしんどい。何かを背負っていると全身が力んでしまって血流が悪くなる、そして不調が出てくるし、笑顔も減ってゆく。

はて、そんな弱った状態を見られて「この人と一緒にいたい」と思うだろうか?それはきっとノーだし、そういう弱った状態で出会ってしまった場合、元気になったときはお相手からしたら「元気すぎてちょっと違う」と思われるかもしれない。だからまずは自分が生き返っておくと、その状態を好きと言ってくれる人と出会える。

恋愛しなきゃの重圧を一回この世から消し去ると身も心もパァっと晴れて、お花畑でそよ風に吹かれている気持ちになれる。

そして次のステップへ。

色々と満たされ解放された段階で、心を無にして結婚をして楽しそうに暮らしている友だちの家へ押しかける。

自分が手にいれることができないものを目の当たりにするというのは、かなりの苦行だ。結婚はできたけど不妊と不育で2度の流産を経験して結局子どもを諦めた私は、子持ちの友だちの家へ遊びに行くのが地獄だったからよくわかる。けれど成功例を目の前で体験し、思考の歪みの矯正を行わないとどうにもならない。傷の舐め合いが一番よろしくない。私はそう思っている。勇気を出して幸せ環境に挑んでみる。結婚の呪縛から解放されたら意外と楽しめるはず。

あれやこれやクリアにして恋愛疲れがなくなって心から毒素が抜けて、歪んだ認知も多少矯正された頃に、結婚相談所のお世話になったり、さらにホテルのバーで一人のみを開始したり。一度、「一生結婚はしない」と腹をくくれば脱力できて棚ぼたがあばラッキーくらいに思えて自然な姿でいられる。

人それぞれ、どのステージにいたとしてもそれなりに「隣の芝生は一生青い」を経験するのだと思うけど、気楽にいこうじゃないの。

どの姿が本当の自分なのかがわからなくなるときもあるけど、それでもみんな平等に時は過ぎていっていつか必ず人生の終わりの日がくる。自分とは違うようで、羨ましいようにも思えて、嫉妬の心だって芽生えるときがあるかもしれないけど、それでも着地点は皆同じだから、周りは気にしないでたまには自己中心的にね。好きなことをたくさんやりましょうよ、と。

誰かのために生きていた時間が長かった人は、そろそろ自分のためだけに、自分が喜ぶことを許す作業に入って。そのとき隣にパートナーがいたらいいし、幸せな日々が訪れるのだろうな、と。

幸せは手にいれるものじゃなくて、結果として幸せだった、、これが理想ね。

それでは今日はこの辺で。

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